いつかのインタビュー(Op.RD)
  
以前、ライターの方が取材なされた時のものです。
なかなか面白いので、こちらにも載せようと思います。

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2005年に『終戦のローレライ』『戦国自衛隊1549』『亡国のイージス』の3作が一挙に映画化され、
ますます注目されている福井晴敏さんの最新長編『Op.ローズダスト』がついに完成!
 
短期間で“ネット財閥”と呼ばれる一大帝国を築いたアクトグループ。
その関連会社の役員が爆弾テロで殺されるという事件が起こり、
警視庁と防衛庁が異例の合同捜査をすることになる。

二つの組織を繋ぐ役として選ばれたのが、
公安部の窓際刑事である並河次郎と、自衛官の丹原朋希。
親子ほどに年齢の違う二人が“ローズダスト”と名乗る犯行グループを追う。

右翼と左翼、防衛庁と警察、組織と個人、大人と子供……
異なる二つのものを結ぶ『新しい言葉』に満ちた、壮大なスケールのハードファンタジーだ。


――『亡国イージス』や『終戦のローレライ』のように特殊な空間や時代を舞台にした作品と違って、
『Op.ローズダスト』には私たちの身近にある社会がリアルに描かれていますね。



「今回は真正面から現代日本と向き合わなければいけないんじゃないかと。
向き合うだけの舞台装置が現実に出来てしまったというのが大きいです。
連載がスタートしたのは2003年なんですけど、ちょうどアメリカのイラク侵攻が始まった直後でした。
日本が自衛隊を出すか出さないかという時で、なんか空気がおかしいなと思っていたんです。
9.11や拉致問題など、10年前にはシミュレーション上でしか考えられなかったことが
現実に起こってみると、思ったよりもずっと劇的な変化がありましたね。
昔、何かをきっかけに日本が一気に軍国主義になりました、みたいな内容の漫画が結構あったんですけど、
読んだ時は“そんなの古いよ”と思っていたんです。でも、ありえるんだなって」

世の中の劇的な変化に対峙する時のキーワードになるのが、
冒頭から繰り返し出てくる『新しい言葉』。例えばこんなセリフがある。


『いまの日本には古い言葉しかない。
 右翼とか左翼とか、タカ派とかハト派とか……。
 もうそういう分け方じゃ割り切れない時代になっているのに、
 結局どちらかに色分けされてしまう。
 互いに古い言葉を使って主張し合うばかりで、
 問題は問題のまま、解決しないのが伝統になってしまっている



過酷な現実の中で、登場人物はそれぞれ次の一歩を踏み出すための『新しい言葉』を模索するのだが……。


――『新しい言葉』という発想はどこから出て来たんですか?


「『新しい言葉』は9.11や拉致問題が起こった時のメディアを見て、
これはもうどうにもならないな、と思ったところから出て来たんですよね。
つまり、マスコミが使っている言葉を土台にして先のことを考えていけるとは
感じられなかった。昔からある“右翼”と“左翼”という観点で、
今の時代は右から見たらこう、左から見たらこう、と言っているだけ。
どちらも間違っているのは分かっているけど、お互いに間違いが認められない。
だったら両者が歩み寄ったところにまだマシな道があるんじゃないかと。
日本は右翼と左翼が混在したままここまで来ているわけだから、
じゃあ真ん中あたりにもうひとつ山のようなものを作って、
そこを登るっていうことも出来るんじゃないですか、ってね


――山のようなものとは?


「うん、平坦じゃないんですよ。右か左に行けばずっと平坦な道が続くだけなんだけど、
真ん中を行こうとすると、バンっと壁が立っているわけです。
いきなり壁を這い登るのは無理だから、そこに少しずつ土を盛っていくんですね。
そうやって傾斜をつけていけば右の人も左の人もお互いに行き来できる。
両者の間にある高い壁に、傾斜をつけてやるための発想(=土)が『新しい言葉』なんです。
だけど異なるものを二つすり合わせるのは本当に大変なんですよ。
それができないから中東で何万人も死んでいるわけで。
人間の永遠の課題みたいなところもありますよね」


――異なる二つのものと言えば、本書の主要キャラクターである丹原朋希と並河次郎も、
防衛庁と警察という異なる組織に属しています。
しかも朋希は20代前半で、並河は50代、世代がまったく違う。
本書に限らず、福井さんの作品は、青年と中年男性がコンビを組むことが多いですね。
なぜですか?


「右と左と同じで、どちらか一方だけだといけないと思うんですよね。だからヤングとおじさんっていう(笑)。
若い子たちの主張で固めた作りになると、たぶん40代50代の人にはまったく読めないし、
青臭い理想や実現不可能なことだけを垂れ流すことになる。
逆に40代50代の人だけの再生の話にすると、いわゆる“団塊世代の男のロマン”的な話に
なってしまう。性別も年齢もバラバラな雑多な人で成り立っているのが世の中なんだから、
何かひとつの塊でものを言ったり、作ったりすると、そこには正解なんて無いですよ。
個性と言う言葉はなんとなく使われていますけれども、
個性って実は他の個性とぶつかりあって、お互いに鍛え合って初めて屹立していくものなので。
自分たちの都合のいい場所、居心地のいい場所からのみ出た考え方や言葉は
瞬間風速の力しかないから、異なるものがぶつかりあう時に見えてくるものが描きたいんですよね」


――似た者同志で集まっていても、新しい視点は生まれない?


「“言われなくても分かるでしょ”って感じになっちゃう。日本人ってわりとそういうところがあって、昔はそれが全世界に共通していたんだけど、今はないですよね。
45歳くらいがラインなのかな?そこを境に分断されているというのが今の日本の状況です。
だって、45、6歳のおじさんとさ、パパッと話せます?」


――私ですか?う〜ん、どうでしょう。


「同じものを見て、同じようにいいと思えるかということですよ。
例えば、30年くらい前は、10代から50代までみんな演歌でOKだったんです。
都はるみが『ザ・ベストテン』で1位をとれたわけですよ。
でも今はもうだめですよね。振り返ればそういうことって山ほどあるけど、
何が原因なんだろうって考えていくと、ちょっとした曲がり道を右へ行くか左へ行くかで変わってきてるんですよ。
実はそれは“今の若い子は何を考えているかわからない”
と言っているおじさんたちが自分たちで作ってきたものなんです。
今の若い人にはこういうものが流行っているらしいと見えた瞬間に、
“それの何がいいのかさっぱりわかんないけど売れるのなら売っちゃえ!”って言ってドサっと流す。
それをみてみんながワーッと飛びつく。
つまり、分かりやすいことや刺激的なことに流されていくわけです。
そうやって若者を食い物にしている人が作った文化は、若者にしか分からない。
で、気がついてみると自分たちの好きな演歌はなくなっているぞ、ということになる」


――本作中でも、朋希と並河は分断された世代のあちら側とこちら側に属していて、
最初はコミュニケーションを取るのに苦労する。
どちらの気持ちもリアルに描かれていますね。



「俺は二人のちょうど中間くらいの年齢なんで、かろうじてどちらの視点でも見られるんですよ。
そういう意味では、こういう書き方は今のうちしかできないですね。
あと10年くらいたったら、もう完全に並河の側になっちゃうから。別の方法論を探すしかないですね。
その時に今と同じ感性で20代の子たちをとらえられるかといったら、それはもう分からない。
絶えず自分の中をアップデートしていったとしても、限界はあると思うので。
例えば映画だったら、俳優って生身の肉体があるから、その生身の肉体が出してくれる
“今の空気”があるんだけれども、小説って全部自分で作るしかないものだから。
それは過去にも色々間違えてしまっている人がいるわけでね」


――どう間違えているんですか?


「分かりやすく言うと、“ややっ!?”って驚く人、今は誰もいないよね(笑)。
それを平気で本の中に書けちゃう人が、結構いるわけですよ。そんなふうにズレていく。
“今のヤングの言葉はこうかのう”って、もう終わっている女子高生言葉を使ったりして。
そうなると老醜をさらすことになるので、俺が両方の世代の見方で書けるのは今しかないんです。


――異なる二人というと、朋希とかつての防衛庁の非公開情報機関「ダイス」で同期だった
“ローズダスト”のリーダー・入江一功もそうですね。同世代でも性格が対照的な彼らの関係も、
本書では大きな読みどころだと思います。



「一功の生き方は、“何でもデキる子の悲劇”なんですよ。“長男の悲劇”と言ってもいいのかもしれない。
お兄ちゃんなんだから弟や妹の面倒を見るのが当たり前で、甘えることも許されないっていう。
で、またお兄ちゃんであるだけの実力もあるんですよ。
一功は“俺は俺の生きたいように生きるぜ”というふうに見えて、
あれほど周囲の期待にきちんと向き合って答えている人間もいないわけです。
それでずっと爪先立って生きてきて、“俺、疲れたなぁ……”という時に出会ったのが朋希という。
朋希というのは、(犬に例えると)いつもおなかを出しているんですね。
おなかは出しているんだけども、単に情けないわけではない。
実力は一功と伯仲するものを持っているのに、おなかを出している。
一功は朋希に自分にはない強さを見出したと思うんですよね。
自分は死ぬまで爪先立って生きていかなきゃいけないのかと思っている一功にとって、
朋希はいるだけで“そんなに慌てないで”という言葉を投げかけてくれるような存在だと思うんですよ。
一功はAもBも間違っていると分かった場合に両方をぶち壊すことを考える。
でも朋希はずっと真ん中にいられる人間なんです」


――というように、並河と朋希、朋希と一功という異なる個性がぶつかり合うからこそ、
“瞬間風速の力”で終わらない物語になっているわけですね。



「並河が出てこないで、朋希と一功だけだったら、『バトル・ロワイアル』みたいな
ものすごく殺伐とした話になっていたと思います。
並河は朋希に“そんなに爪先立って歩かなくても、もうちょっとベタッっと楽にしていて大丈夫だよ”
ということを教える。そして並河は朋希を見て、もう少し背筋を伸ばさなきゃと思う。
今まで自分たちが信じてきたことだけではもうだめだから、お互いに学び合って、
じゃあ次はもっと困難なことに対決していきましょうかと。
そうやって現実と向き合っていくようになりました、という話なんだよね。
軍事的なことや政治的なことも出てくるし、硬い話と思うかもしれません。
でも“ローズダスト”というタイトルがあらわしているように、基本的にはファンタジーなんですよ。
ハードファンタジーという新しい分野です(笑)。
ファンタジーは元々、人間の中の色んな要素を妖精とか小人とか悪魔に託して風刺して描いている、
一種の暗号文みたいなものだと思うんですよね。
だからこそ、真実に一番肉薄できるんです」


インタビュー中もズバッと本質を語りながらユーモアを忘れずに、
ありがちな表現を避けつつ分かりやすい言葉で伝えようとして下さった福井さん。
そんな福井さんが書いた『Op.ローズダスト』は、薔薇と埃という、まったく違う二つのものを組み合わせた
美しい言葉がタイトルになっている。
理想と現実、情と理、どちらか一方だけでは人間は生きられない。両方を併せ持つからこそ、
本書はただ面白かっただけでは終わらない、心に残る小説になっているのだ。 (石井千湖)


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